はじめに

人生100年時代、50歳を目前にして残り50年間をどう生きるのか?考えることが多くなった。

 

 

そんな中、2020年2月、日本でもクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」をかわきりに新型コロナウィルスが問題となっていった。

娘はちょうど高校受験の学力試験を控え、どうなるものかと心配したが、学力的にもなんとか入学できる運びとなった。しかしながら、このコロナウィルス問題は、休学延長をよぎなく続けさせ、未だ入学式さえ実施されない状況に追いやった。

 

また、学校教育でいえばオンライン学習、社会全体を見渡せば、在宅勤務、オンライン申請、医療体制、オンライン診療含む検査体制、キャッシュレス化、データサイエンスの活用、〇〇等、新しく気が付いたこと、または、今まで議論はされてきたがなかなか進展しなかったことも含め、多数の社会的な問題が顕在化した。そして、これを機にそれらの問題を解決を図りながら、今までとは異なる「新しい生活」を築くことが、全世界で人類共通の課題となった。

 

日々流れるニュースからは、それらの多くの問題に対して、例えば、100年前のスペイン風邪における教訓等、過去にさかのぼり、議論や評論する声が聞こえてくる。

これだけマスメディアが発展して、どんなに優秀な人がどんなに良いことを言及しても、現実なかなか具体的な解決に至らないことに歯がゆさを感じた。

 

学校教育では、「よく考える」「考える子」を教育目標と掲げているが、休校中に、オンライン学習体制が進めるために知恵を絞り出すどころか、プリントを配布し回収することでしか対応がとれていない学校教育にも限界を感じる。それは先生を責めることではなく、家庭が子どもの教育に対してもっと役割をもって機能すべきであると。自分の子どもに、

「自分が生きてきた中で学んだ、些細ではあるが、学校教育内ではなかなか学べないことを伝えてあげたい」

 と思ったが、人は忘れる生き物、なかなかタイムリーに伝えたいことは浮かんでこない。

 

休校中で子どもと一緒にいる時間が長くなったが、リビングで一緒にテレビを見て、

「このニュースで言っていることは、なかなか正しいことを言っている」

と娘の方に顔を向けると、娘はスマートフォンの画面にくぎ付けで、声は届かない。

 

だったら、急がば回れ、このコロナウィルス問題を機に、そしてポストコロナの「新しい生活」を生きていく上で、少しはためになるであろうことをブログに託してみよう。そうすれば、「記憶」でなく「記録」に残り、仮に100歳で亡くなった後でも、少しでも、こころの支えとして、子々孫々に残せるかもしれない、と考えた。

 

AIやインターネット(クラウド)が進化する中で、「永遠に生きる」、とはこんなことかもしれない。

 

この春、入学式もなく高校生になった娘へ、父より伝えたいことを綴ったブログである。

 

考えは人それぞれ、どなたに対しても必ず当てはまるわけではありませんが、娘に限らず、何か「考える」きっかけになれば幸いです。